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究極の1日と10年計画①

2014年11月13日

だいぶ長い間、ブログの更新をしていませんでした。
というのも、ちょっと自分に余裕がなかったからです。
でも余裕は自分で作るものですね。
しかも、こんなブログでも、楽しみにしてるよ!と言ってもらえたりもして
、とっても嬉しいし続ける励みになります。ありがとうございます。
なので、細々とではありますが、続けていきたいと思ってますので、
これからもどうぞよろしくお願いします!

今日は、もう自分の中では終っていると思っていた、究極の1日シリーズ。
がまだ終わってなかったんです。⑥に続く。。。になっていました。
ということで、⑥ではなく、ちょっとだけタイトルを変更して、
今、小嶋歯科医院でホットな10年計画を交えて、
「究極の1日と10年計画」というタイトルで書かせていただきます!

では⑤の続きをどうぞ・・・
ということで、小嶋歯科医院の勉強会に参加することを決めた私は、
パタンナーの上司であるTちゃんに、早速報告。すると、
「里美ちゃん、何かそこから変わりそうだね。」
と言ってくれた。
そんな言葉もあって、勉強会当日も、ワクワクしながら小嶋歯科医院に向かった。
どんなことが学べるんだろうか?
私も小嶋先生みたいに脳の情報が読めるようになっちゃうのかな?
そんなこんなで勉強会が始まった。
「じゃあ、まずは自己紹介から・・・えっと・・・」
先生のまん前に陣取った(たまたまです)私は、ばっちり先生と目が合ってしまった。
「じゃ、中嶋さんから。」
わ、わたしから~!!
極度に人前で話すのが苦手な私に、なんということをさせるの?
どうしよ~!どうしよ~!何をどう言おう。
今では、もう何を言ったかあまり覚えてないくらい緊張した。
でも確か、今まで学校でも会社でも何か居心地が悪い思いをして来ました。
といようなことを正直に言ったと思う。
前にも書いたかも知れないが、なぜ人前で話すのが苦手かというと、
①自分の話してることに自信がなくて、話してることが変わっている(おかしい)と思われないかをすごく気にしてしまう。
②そんな私の話しに、相手の時間を費やしていまうことが、すごく申し訳なく思ってしまう。この2ポイント。しかし、この昔からの根強い2ポイントが、
勉強会に参加し、小嶋歯科医院で働くようになって、徐々に減ってきている。
それはなぜか?というと、(ここ大事なところです!)
多くの人と同じではない考え方。今の一般社会(経済社会)と違う考え方。
つまりマイノリティー側の人達が、これからは社会を草の根的に変えていくしかないと
小嶋先生は考えていて、そして小嶋歯科医院はそんな考えを実践している場だから。

なので、「変わっていて大いに結構」といスタンスで、日々関わってもらえると、自信が出てくる。
でもここで勘違いしてはいけないのが、
小嶋先生の言う変わっているという言葉には、「観点が高い」という意味が含まれている点。
ただ、やみくもに変わっているといのともちょっと違うのだ。
そこで、10年計画というのも出てくることになった。
私は、勉強会での話しをきっかけに、
「小嶋歯科医院で勉強しながら働いて、1人暮らしの資金も貯めたらどう?」
という、信じられないくらいありがたいお言葉をいただき、
勉強させてもらいながら、お給料も頂いているような、恵まれた状態になることができた。
パタンナーのTちゃんも
「私のところを卒業して、今度は小嶋先生にバトンを渡した感じだよ。」と淋しそうだけど、快く送り出してくれた。
Tちゃんにも今まで本当に沢山のことを教えてもらって、感謝してもしきれない。
小嶋先生とTちゃんに出会えたからこそ、今、自分に出来ることを精いっぱいして、人の役に少しでも立てるようになりたい!と思えるようになったのだ。
そして、今、少しずつ自分がどうなりたいかを真剣に考え出している。
1年後の自分、5年後・・・、10年後・・・、そして自分が望む究極の1日。
自分がどう生きるのか決めるのは、自分。
そして一人一人のその選択が、社会をどう創っていくかにも繋がっていく。

究極の1日と10年計画②に続く・・・
読んで頂いてありがとうございます。






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究極の一日⑤

2014年6月29日

私の恥ずかしい過去にはびくともせず、小嶋先生は快く、
「何かあったらいつでもメールなり電話なりしていいよ。」
と言ってくれた。それから度々、色々な相談に乗ってもらったが、返ってくる答えは今までのどんな人とも違っていた。
1本すじが通っていて、どの答えにもまったくと言っていいほど矛盾がない。
こんな人いるんだ~!!と思ったと同時に、自分のいい加減な生き方が情けなく思えてきてしまった。
あっちではこう言い、こっちではああ言うみたいなことをずっとっしてきたために、自分の本心がわからなくなってしまうほどだった。
そんな小嶋先生とのやり取りの中で、自分の生き方を見つめ直すことができるようになってきた。
そんな私に先生は言った。
「家を出た方がいいよ。」
そうわかってる。家を出た方がいいのは。一番言われたくないところだ。33年間生まれてから1度も親元から離れてない。
しかもそのことで、自信がないこと。でも経済的に無理という言い訳。
もうこの際転職した方がいいのか?と思い始めたころ、なぜだかパタンナーの仕事の数が徐々に減り始め、実家ぐらしでもぎりぎりの生活になってきてしまった。そんなぎりぎりの状態のとき、また小嶋先生が言った。
「勉強会出てみない?」
以前は断ったものの、この時はどうしても出てみたいと思った。
この状態を何とかしたい!
という気持ちが強く、何かの糸口になるんじゃないかと思ったからだ。
早速参加したい旨を伝えた。
          究極の一日⑥に続く・・・・ 
        読んでいただいてありがとうございます。

究極の一日④

2014年6月5日

そんな風に気持ちが前向きになり始めた頃、少しずつ自分の周りが変化してきた。
そして小嶋先生に出会ったのも、この頃だった。

そんな私は先生の
「今の仕事は何のためにしてるの?どんな思いで、どんな意志を持って、どんな目的で?」
という質問に答えることはできなかった。
もちろん究極の一日なんて、もっともっと答えれない。
仕方ないので、自分が学校や会社に、うまく適応できてこなかったことなどを正直に話した。
先生はそんな私に色々と話してくれた。
私が、社会の中のマイノリティー側の部類で、自分を見失ってないから、今の経済社会に適応することが難しいこと。
マジョリティー側に無理していないで、思い切ってそこから離れてしまった方がいいこと。

そして筋肉反射を使って脳の情報を読むことができるようになると、自分のことがわかるようになって、自分らしく生きることができるようになり、今よりもっともっと素敵になれることなど、
沢山沢山話してくれたし、私がどんな質問をしても全部真剣に答えてくれた。
あまりにも話が興味深くて、しかもとても信頼できそうな人柄だったから、3回の治療(これがまた本当に楽しかった)も終わってしまい、勉強会も断ってしまって、先生との繋がりがなくなってしまうのが残念な気がした。
けど仕方なくお礼を言って小嶋歯科医院を後にした。
しかし家に着いてから図々しくも
「小嶋先生と友達になりたい」
と思ってしまい、そのためには自分のことをもっと知ってもらわないとだめだと、
今思い出すと、相当恥ずかしい自分の生い立ちを延々と書き連ねたメールを送ってしまった。

送ってから、ふと我に返った時、自分が一体何をしてるのかわからなくなってしまった。
なんで数回しか会っていない歯医者の先生に、こんな恥ずかしい自分の過去をわざわざ送ってしまったのだろうか?
後になってわかったのは、先生の前ではなぜかそうゆう人が多いということ。
きっと何でも受け止めてくれそうな、懐の大きさを感じるからではないだろうか・・・
      究極の一日⑤に続く・・・
  読んでいただいてありがとうございます。
       

究極の一日③

2014年5月25日

そんな不純な動機で、Tちゃんのかわいい家のドアをノックした。
が・・・・アウトドアウエアのパタンナーというのは、何の知識もない私にとって、
何の装備も持たずに富士山に1合目から登るようなものだった。
そんな私に頂上付近にいるTちゃんは一から教えてくれた。
でも才能のあるTちゃんにとって、どうやってそこまで登りつめたのかを教えるのは難しいみたいだった。
「感覚なんだよね」
という言葉をよく使っていた。
とにかくその「感覚」をなんとか感じ取るしかない。
感じとって自分なりのルートを必死で見つけるしかなかった。
ただ、もう登り始めてしまったら逃げ道はなく、ひたすら上を目指すしかないように思えた。
なぜなら、辞めて普通の会社に戻る選択肢は、私にはなかったからだ。
何の保証もなかったけど、会社に属していない自由が自分に合っていることを実感できたし、
なんとなく仕事は出来なくとも、生きる方向性は間違ってないような気がしたから。

お金に関しても、すごく勉強になった。
働いた時間ではなく、出来た仕事の分だけお金をもらう。
厳しいけどわかりやすくて、自分で稼いだという実感を得ることができた。
そんな実感は得ても、まだまだ1合目からスタートした身分には、
生活する十分なお金を得ることはできず、バイトを掛け持ちした。
でも会社にいたころは、どうゆう理由で自分のお給料が決まっているのか、わからない不透明さが何となく嫌だったから、わかりやすくていいと思った。

そして、そんな日々が何年か続いた時、
自分の中に迷いが生まれ始めた。
私にはTちゃんのような才能もなく、
はっきり言ってこの仕事に向いてない気がする。
そうなると続けている意味があるのかわからなくなってしまった。
Tちゃんにはよく、そんな話を正直にした。
Tちゃんはそんな私にいつも言ってくれた。
「今苦しくても、この生活が一生続くわけじゃないんだから、
とにかく今、目の前にあることを一生懸命やってごらん、そうしたら、必ず次のステージに行けるから。」

私は何度か言ってもらった、その言葉を信じることに決めた。  
            究極の一日④に続く…
      読んでいただいてありがとうございます。
       

究極の一日②

2014年5月15日

先生は続けた。
「それと・・今の仕事は何のためにしてるの?どんな思いで、どんな意志を持って、どんな目的で?」
「そうですね・・・」
今ではもう思い出せないくらい、適当な返事をしてしまった。
だからといって、何も考えないで、仕事をしてた訳じゃなかった。

わたしは、どちらかと言うと社会にうまく適応出来ないタイプだと自分では思っている。
なぜって、自分が考えてることがちょっと人と違うから。
はっきり言って、ちっとも可愛くない。
そのことを自覚したのは、高校の時だった。
みんなが青春を謳歌してる頃、ひとり(だと信込んでた。ネットもなかったし。)
わたしが学校を創れるとしたら、まったく違う風に創るのになあ・・、
とか,男の子と何のために付き合うの?
とか、地球に住んでるってこと、皆意識してなさ過ぎだな、
とか考えてた。
でもそんな話が出来る友達はいなかった。
だから、自分が感じてること、思っていることを表現することが出来ないでいた友達といても、友達の反応を見て、変に思われないようにすることばかり考えていた。
いつからか、隠すことにエネルギーを使い過ぎて、人と話すことが嫌いになってしまった。
それは大学でも変わらなかったし、そもそも自分が何がやりたいのかなんて、そんなことばかり考えてたからなのか、全然わからなかった。だから両親には本当に申し訳ないけど、大学だってなんとなく入ってしまった。

もちろん社会に出ても同じだった。なんとか入れてもらった会社が、ワンマン社長のいる会社だった。
社長の言うことは絶対だったし、皆が怖がっていた。
わたしは仕事よりも、人の恐怖心でもって、人を支配するということは、こうゆうことなのか・・
とか考えていた。冷静に分析はしても、わたしも社長がこわかったし、会社に自分を合わせることが、嫌で嫌でたまらなかったから転職したかった。
でもまた転職先が同じような会社だったらと思うと、それも怖かった。

そんな時、たまたまフラダンス教室で友達になったTちゃんから

「そんなに嫌なら会社辞めて、うちで一緒に働かない?富士山登るの好きなんでしょ?
自分で引いたパターンのウェア着て登れるよ!」
って言ってもらった時には、すごく嬉しかった。
Tちゃんは在宅で働くアウトドアウェアのパタンナー(型紙を引く人)だった。
つまり個人で働けるってことだ♪
嬉しくて嬉しくて、自分にはそんなに向いてるとは思わなかったけど、働かせてもらうことに決めた。
 
         
                          究極の一日③に続く・・・
          読んでいただいてありがとうございます。
                         

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