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究極の一日③

2014年5月25日

そんな不純な動機で、Tちゃんのかわいい家のドアをノックした。
が・・・・アウトドアウエアのパタンナーというのは、何の知識もない私にとって、
何の装備も持たずに富士山に1合目から登るようなものだった。
そんな私に頂上付近にいるTちゃんは一から教えてくれた。
でも才能のあるTちゃんにとって、どうやってそこまで登りつめたのかを教えるのは難しいみたいだった。
「感覚なんだよね」
という言葉をよく使っていた。
とにかくその「感覚」をなんとか感じ取るしかない。
感じとって自分なりのルートを必死で見つけるしかなかった。
ただ、もう登り始めてしまったら逃げ道はなく、ひたすら上を目指すしかないように思えた。
なぜなら、辞めて普通の会社に戻る選択肢は、私にはなかったからだ。
何の保証もなかったけど、会社に属していない自由が自分に合っていることを実感できたし、
なんとなく仕事は出来なくとも、生きる方向性は間違ってないような気がしたから。

お金に関しても、すごく勉強になった。
働いた時間ではなく、出来た仕事の分だけお金をもらう。
厳しいけどわかりやすくて、自分で稼いだという実感を得ることができた。
そんな実感は得ても、まだまだ1合目からスタートした身分には、
生活する十分なお金を得ることはできず、バイトを掛け持ちした。
でも会社にいたころは、どうゆう理由で自分のお給料が決まっているのか、わからない不透明さが何となく嫌だったから、わかりやすくていいと思った。

そして、そんな日々が何年か続いた時、
自分の中に迷いが生まれ始めた。
私にはTちゃんのような才能もなく、
はっきり言ってこの仕事に向いてない気がする。
そうなると続けている意味があるのかわからなくなってしまった。
Tちゃんにはよく、そんな話を正直にした。
Tちゃんはそんな私にいつも言ってくれた。
「今苦しくても、この生活が一生続くわけじゃないんだから、
とにかく今、目の前にあることを一生懸命やってごらん、そうしたら、必ず次のステージに行けるから。」

私は何度か言ってもらった、その言葉を信じることに決めた。  
            究極の一日④に続く…
      読んでいただいてありがとうございます。
       
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究極の一日②

2014年5月15日

先生は続けた。
「それと・・今の仕事は何のためにしてるの?どんな思いで、どんな意志を持って、どんな目的で?」
「そうですね・・・」
今ではもう思い出せないくらい、適当な返事をしてしまった。
だからといって、何も考えないで、仕事をしてた訳じゃなかった。

わたしは、どちらかと言うと社会にうまく適応出来ないタイプだと自分では思っている。
なぜって、自分が考えてることがちょっと人と違うから。
はっきり言って、ちっとも可愛くない。
そのことを自覚したのは、高校の時だった。
みんなが青春を謳歌してる頃、ひとり(だと信込んでた。ネットもなかったし。)
わたしが学校を創れるとしたら、まったく違う風に創るのになあ・・、
とか,男の子と何のために付き合うの?
とか、地球に住んでるってこと、皆意識してなさ過ぎだな、
とか考えてた。
でもそんな話が出来る友達はいなかった。
だから、自分が感じてること、思っていることを表現することが出来ないでいた友達といても、友達の反応を見て、変に思われないようにすることばかり考えていた。
いつからか、隠すことにエネルギーを使い過ぎて、人と話すことが嫌いになってしまった。
それは大学でも変わらなかったし、そもそも自分が何がやりたいのかなんて、そんなことばかり考えてたからなのか、全然わからなかった。だから両親には本当に申し訳ないけど、大学だってなんとなく入ってしまった。

もちろん社会に出ても同じだった。なんとか入れてもらった会社が、ワンマン社長のいる会社だった。
社長の言うことは絶対だったし、皆が怖がっていた。
わたしは仕事よりも、人の恐怖心でもって、人を支配するということは、こうゆうことなのか・・
とか考えていた。冷静に分析はしても、わたしも社長がこわかったし、会社に自分を合わせることが、嫌で嫌でたまらなかったから転職したかった。
でもまた転職先が同じような会社だったらと思うと、それも怖かった。

そんな時、たまたまフラダンス教室で友達になったTちゃんから

「そんなに嫌なら会社辞めて、うちで一緒に働かない?富士山登るの好きなんでしょ?
自分で引いたパターンのウェア着て登れるよ!」
って言ってもらった時には、すごく嬉しかった。
Tちゃんは在宅で働くアウトドアウェアのパタンナー(型紙を引く人)だった。
つまり個人で働けるってことだ♪
嬉しくて嬉しくて、自分にはそんなに向いてるとは思わなかったけど、働かせてもらうことに決めた。
 
         
                          究極の一日③に続く・・・
          読んでいただいてありがとうございます。
                         

究極の一日①

2014年5月11日

☆2013年7月7日 
辻堂~サンデーマーケット~人生を変える出会い


わたしの腕に優しく触れながら真剣な表情で何かを確認したその先生は言った。
「坐骨の耐性プログラムが3分だね。固い椅子に座るの苦手じゃない??」
「はい!小さい頃から苦手でした。」
「ほら、肩を上から押すと落ちるでしょ?」
この先生はいったい何を言ってるんだろう?
意味はぜんぜんわからなかったけど、嬉しくて涙が出そうになった。
椅子に座れないのはわたしの集中力がないせいじゃなかったってこと?
違ったの?わたしが悪いんじゃなかったの?

30年近く、家でも学校でも職場でも椅子にじっと座ってることが、本当に苦手というか苦痛だった。
自分をダメな人間だと思って責めたりもした。
その時、わたしの体が、
「見つけてもらってよかったね。」
とささやいたような気がした。

昨年の七夕に、不思議な魚屋さんの岩堀さんに連れられて、近くのパン屋さんで働いてたわたしは、辻堂のサンデーマーケットに出店している、小嶋先生の前に座ることになった。
短い時間だったのに、坐骨のプログラムのこと、歯の噛み合わせのことなど、今ままでの常識の枠の外で話してくれる先生の言葉と治療方法に、好奇心が収まらず、我ながらすごい行動力だなと自画自賛しつつ、その日の夜には診察の予約を取った。

それから数日後、ワクワクしながら小嶋歯科医院の玄関をノック♪♪
筋肉の反射を使いながら、じっくりと真剣にわたし自身に聞きながら、サンデーマーケットでもやってくれた、今までまったく知らなかった足の骨を調整したり、体のバランスの軸を調整したりして、より本来の自分に近づけていくその治療方法に感激していたわたしに先生は、
「これ興味あるなら勉強してみない?自分で出来るようになりたくない?」
って言ってくれた。それなのに、
「え?でもお金がないので~、今はいいです・・・」
アウトドアウエアのパタンナー(型紙を引く仕事)とそれだけじゃお金が足りなくて、パン屋さんでバイトをしていたわたしは、無駄な出費は抑えななければという思いが強く、
すごく勉強してみたいのに、費用も聞かないで(5回の講義で54,000円でした)とっさに断ってしまった。それでちょっと後悔してると、先生が質問してくれた。
「究極の一日って知ってる?自分にとっての究極の一日を書くんだけど、これが中々難しいんだよね。そして、その日に誰かから、感謝の手紙が一通来るんだけど、その相手と手紙の内容も考えるの。」
「そこをゴールにして、今の自分がどこにいるかを考えると、今やるべきことがわかってくるんだよ。」
わたしにとっての究極の一日ってどんな一日?
簡単なようで、難しい質問。だって、自分のことを本当に理解してないと、これが自分にとって究極の一日、つまり自分の究極の喜びだって言い切れないから。自分が本当に満足、納得いく生き方をするには、自分自身を知ること。今までわかっていたようで、わかってなかった。    
                    ~究極の一日②へ続く~